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丸太の行方

この数日、生業である木工の材料となる木をいただきに山へと足を向けています。
融けきらない2月の大雪の残りや積もる雪の重さに耐えきれずぽっきりと折れた枝や
ぐにゃりと曲がった竹がそこかしこにあり、雪かきに追われた数日間を思い出します。
折れた枝や倒木の片付けをする姿もまだ見受けられます。
人が庭木、街路樹などを切る理由としては

・痛んでしまい倒木の可能性がある
・大きくなりすぎてしまった
・整備

などで、業者さんが入る場合はそのほとんどが「処分」対象となり費用をかけてチップになったり、焼却処分になります。
間伐材は大抵の場合、その場でやがて土になるまで積み置くのがほとんどでしょう。
山に積み置いても台風などの大雨で流され沢をせき止めて鉄砲水を発生させてしまうことがあると聞きます。どうあっても切られた木は「やっかいもの」として扱われているようです。
工場の暖房を薪ストーブで賄うようになり耳にするのは

・薪が手に入りやすかったら薪ストーブにした
・薪ストーブを使っているけれど薪を手に入れるのが大変
・ホームセンターで買う薪は割高で灯油より高いものになってしまう
・数少ない薪の販売所はいつも品不足
・木が手に入っても薪にする労働力がない

という声です。 森や山との関わりが近くなって知ったことは、たくさんの木が活かされることなく処分されていること、薪としての木を切望する人たちがいる一方で「やっかいもの」の処分にいらだつ人たちがいる。

このバランスがとれることで「平和」な空気が生まれないだろうか?
木に限らず誰かの不要が誰かの必要であることはたくさんあると思う、儲けることを一番に考えるとこのバランスがとれる時代は訪れないかもしれない・・・
でもそうでなければ?

「理由あって切られた木」を材料に「地域の財産である身近な材料で心豊かな暮らし」を実現しながらも丸太の山を見てあまりにも微々たる活動であることにため息が漏れます。  大きな転換が必要なのだなと感じる今日この頃。

Kina wood kitchen style
菊池 奈美

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